子どもに選ばせます。

子どもとそうでない


と、母親が勝ち誇ったように、子をバカにして、どうだ参ったかと、道理を押しつけるのではダメ。どうせ、子どもは気持がいらだって、事の道理を受け入れる余地などないのだから、まず、気持にゆとりができるようにしてやるためには、共感が大事なのですよねはっきりした共感情緒の共有、ということが。それは、所で説明したカウンセラー役のポイントです。こんな風に。
前作

子供の心が見える本
PHP研究「ああ、私はさっきから、もういらだって。待ち辛くって。だって、シゲトに、あと三分よっていったでしょ。あのとき、もうあのおじさん全部終ったのだと見間違えたのよ。三分位と思ったのに、なかなかなんだから、もう帰りたいぐらい。母さん方の多くはそうは考えていないようです。シゲトもそうなの。一緒だわね。いやーね」

ほんとにいやだなあ、長いんだよ。はじめから、どの位待ったと思う?

どの位待った?

もう五十五分なんだよ、この時計で!

ええ?五十五分!あーあ、私、家でし残して来たこと、あソのよね。
夕食の準備までに、それ片付けておきたいのね。
どうしよう。
もういや。
ああ、うんざり共感しあえて、シゲトはほっとする。
でも、お母さんが、子どもに負けずいらだつ。はじめは、親の落ち着かない、顔のしかめ方を見ているうちに、
なんだよ、母さん。
「だって、きょうは、夏休みに入ったんだ。
落ち着きなよ。大人でしょ」なんて、思わずシゲトがいう。

  • 子どもはどうするのでしょう問題の根源は実
  • 幼稚園の保
  • 子供にとってはそれが当たり前になってしまい

子どもがふぇていますが遅刻してくる

ひどい日に来すぎたわよ、もういやーね。子どもでいっぱいなのね。
だから子ども、そうだ、真っ昼間から多いんだ。
ああ、いやになっちゃ3「そんなこといったって、ぼくだって夏休みじゃなかったら、来れないじゃない」
「ええ?ああ、あ、そうだそうだ、そうだよね。でももう少し早くなソないのかしら。
もう帰ろうか」
……そうはいいながら、腰はでんと坐っていて。
すると子が、かえって、今帰って、あしたまたはじめから待つ気?母さんと、親に問う気になる。
だって、あんまり遅いよと母親が、実は、子自身のいらだちの代弁を「だから、ほら、この本、おもしろいよ。そっちの雑誌よりずっとおもしろいよ。
....。.もうすぐだからね。
ほら、もうおじちゃん、終りじゃないか、すぐだよ、すぐ」
子どもから友達扱いされていい気になっているうち
ことばの、キャッチボールか投げつけあいか
ことばのキャッチボールが大事だって、よくいうでしょ。
それって、簡単にできているようで、なかなかできていないのですねキャッチボールというのは、相手がひどい暴投をしてきても、腕を伸ばして、とにかく受けるの相手がさあ投げ返すよ、とサインをし、です。受けとめたボールを、右手にちゃんと持ち変えて、受ける構えに入るのを見て投げ返すひとつのボールがあっちに届いてから、こっちに返るのですよねああ、もう、待ち辛いよと、子が思わずいってくれば、受けとめて、ああ、もう、ほんとに待ち辛いねと返す。
帰りたいくらいだよといってくれば、受けとめて、帰りたいくらいだよねと、返す帰ろうよといったら、ほんと、帰りたいぐらい!と受けとめる。育児に専念したとき

子どもはすぐその場で模倣していなく

反射的にそう受けながら、泰然とした親の様子を眺めてみれば、帰りたいという気持は、自分だって、気持の皮相にあるもので、もうひとつ奥には、もう少し慎重に事を見極めたいという思いもあることが見えてくる。
皮相の部分が共感してもらえると、皮相のいらだちは隣人にまで広がって、つまり、広がった分だけ色が薄まるというか。皮相の色が薄まれば、もうひとつ奥の思いがあざやかに見えてくるのですね。つまり、子ども自身にも、「今帰ってしまったら、みすみす今まで待ったのが、惜しいんだ
と見えてくる。
ことばのキャッチボールって、そういうことだと思うのです。
向うのことばが、こちらの心に届く。
届いたよ、と声をかけて、こちらから返すすると、向うも届いたよ、と声をあげて、それからこちらへ返してくる。
し」

ことばが子どもに届くこの本の主題である、こちらが声をあげて伝えてやる。
のです。
子どもの心が届いたよと、子どもに届くことが大事なのだということなというのは、つまり、親のそのことばが、おまえの心が、こちらに届いたよと大人が声をかけてやる
ああ、確かに届いたようだと、その声を聞いて、子どもはほっとする。育児に専念したとき

育児に専念したとき

ほっとすれば、心がゆるやかに広がり、深くなる。
今まで気づかなかった別の一面が、自然とまた、見えてくる。
考える愉しさへの、意欲が湧いてくるねえ、しんどいよ。もう帰りたいよ

今帰って、あしたまた待つの?
と子がいったのに、親がと、したり顔に攻めて、ありません。
どうじゃ参ったかと、うそぶくのは、実はことばのキャッチボールではもう帰りたいよ、しんどいよ
と子がいってくるのは、いわば、子の投げてくる荒れ球。
まともにあたっては大変、と、身をよけて、球は後ろへ飛んでいったまま、親は見過ごしているのですね。体をねじってでもしっかり受けるということをしていないのですよね。


母さん方の多くはそうは考えていないようです。 しつけの不足 教育と考えているのです。