学習で理解を深めることができたという例もあ

子どもの心になって

くく
バスは、、ひとりでいらっしゃいよ、バスにひとりで乗って
一年生がひとりで乗るの、禁止だよ、学校で。母さん、知らんのか、ハハハ
嘲笑されてメンツを潰された母親は、ちょっとやけくそ気味になりました。

だって、ケンジは、いつでもばあちゃんち、ひとりでバスで行けるのよ。おまえ、ひとりで乗れないでしょう!!
学校の禁止ウンヌンは置いておいて、これは、確かに図星です。ひとりでバスに乗ったことがない。なにおー母さんはその弱味をついて来たか。しばらく考えて、子どもはこういう。しつけの不足バス代、あれ〈ンじゃン
間髪をいれず、母親、ヘンと鼻そびやかせて応酬。

バス代、あげるじゃないの!
ちょっとぺしゃんとなって、じっとひそんで、それから、シゲト、元気を回復して、
バス代、貰ったらナ、つかってしもてやるわい!
母親あわてて乗れなくっていいじゃンかい

乗れなかったら、サンパッ屋、「サンパツ屋、来れなくっても、テンパツ屋、来れなかったら、来れないじゃない」
ええのンじゃ
サンパツできないでしょうが!
あくまで、ものの道理で説得勝ちに終らねば、親の負け戦は、将来を暗くさせるからと力んでい
るのでしょうか。
テンパッなんかしなくっても、ねえ、母さん。学校行けるんだよ!小学校はしお兄ちゃんは、中学生で、中学は未だに丸刈り規制という状況を下敷きにしての応酬です。

  • 子供に託しているのではないでしょうか。
  • 子どもの不安を表面的にしか把握できない教師の態度
  • 中学校の頃に盛んにやった記憶がある。

育ててみて初めて

もう、知らない!
お母さんが、すねました。
スーンだ!
小1が、勝ち誇って、鼻を鳴らしました。
だのに、まだ、散髪の順番が廻って来ないので、事態はなにも変ってはいないのです。
ねえ、もうオ。母さん、しんどいよオ。帰りたいよオ
帰ったら、シゲト、あしたまたはじめから待つの?

あしたのことをいってないよ、きょうのこといってるのに!

だから、今、今っていってないで先のことを考えなさいって、いってるの!

分からない親だなあ
分からない子だわねぇ!
第二ラウンドが、たちまちはじまっておりました。
母さんは芳江ちゃん
大事な一瞬のカウンセラー役が分からソ親だなあ

分からソ子だわねぇ
きっかけ作りにそう互いにいいあったら、あとは、はしたなさの競い合いですねそういうのを、私は、はしたなさ競争と名付けています。
はしたなさ競争は、どちらが勝つと思いますか。
生活経験がなく、常識が身についていない方が、どうしてもはしたないので、ては、大幅に、子がはしたない。勝つのですよねえ、子がはしたなさにおい親と子で、勝ち負けの争いをして、親が勝ったら、子の将来が暗いではありませんか。母は平気でそういうことをする。

子どもにはほとんどない。

子がいつでも勝つようなら、親の老後があやういというべきかさりとて、勝った負けたで、背反が常になって、親子の隔てが大きくなるのは、いわけで、ここのところを、少し考え直す必要があるのですよねぇ。
ちっとも将来を明るくしなまず、ことばのやりとりが、ンセンスなわけで。たとえば、ただただ、相手をへこますためにやっているのなんて、卓球をしていてですよ基本的にナ相手がこっちへ打つ、こっちが打ち返す。向うが打ち返す。それが、台から外れて、床に落ちる。
それも打ち返して、向うの台へ乗せたら、こっちの勝ちですかそう思って思いきり打ち返すみたい。それは遠く壁にあたる。壁からはね返ったものを、こっちの台へ打ち戻せば、向うの勝ちですか。そう思っているみたいに、思いきり打ち返してくる。見当違いの、もはや台から離れた打ちあいをやめないで、それは、それでも、まだ卓球のゲームですか。
話せばけんか。母は平気でそういうことをする。

母は平気でそういうことをする。

勝つか負けるかのはしたなさ競争
こんな幼児と親の場合だけでなくて、夫婦でも、きょうだい同士でも、あるいは教師対生徒でも肩を並べて、どちらが上も下もなく対等に、となると、たちまち話せばけんか。
ルールのわくに、台からはずれて、従わねばならないのですね、どうしても。つまり……。
床に落ちたら、その玉を拾って、それまで。それから新たにもう一度サーブです話しあいにも、そんなルールがちゃんとあるはずなのですね。
さっきの理髪店での母子のやりとりの、はじめに戻ります。
「母さん、三分とっくに過ぎたよ。まだなのか。もう随分待ったのに。
もういい。
帰りたい」
と、子どもがいったとき
今から帰って、あしたはじめから待っ気イ?


しつけの不足 子供がいいことをすれば 母さん方の多くはそうは考えていないようです。

子どもが自分で判断して決めなくてはならないところ

子どもと無邪気に遊ぶという

しかたのないことを、分からないの!
と、平気で聞き流すことになるのです。

これだけいっても、
とうという、親の常套句も、るわけですね。
いったん聞き流すことに慣れてしまえば、いくらだって平気で聞き流せいや、ボクが、とむしろ、あんな風に、ママは負け戦にうめいている。ボクが反対に負けることになればあんな風に、負け戦を残念がらねばならないのだ。それは大変だ。やだよ、そんなこさあ、ママとの勝ち負けの一回一回に、負けるわけにはいかないのだ!
頑張ろう
と、心で力んでしまうでしょう。
だから、少々むずかしい表現ながら、しっかり書けば、こういうことになってしまいます。
ものをほしがって、親がいくら我慢させようと思っても我慢しようとしない子は、実は、我慢させられることは、ニンゲンとしての敗北だと思い込んでしまっている。
子どもが自分で判断して決めなくてはならないところ

指導されてい

いくら我慢しろといわれても、我慢させられまいとして、あえて我慢しないで意地を通すことの辛さというものを、逆にその辛さをこそ、懸命に耐えている。懸命に我慢しているのであるお分かりになりますか。ここのところは、一度読んでお分かりになりにくければ、どうか丹念に読み返してみてください。親の意図と全く反対の気持が、子どもの心にしっかり湧き出しているということがよくあるものなのです。
でも、これを読んでくださっているあなたは、しら、と訝っておられるかもしれませんね。
子どもって、そんなにいろいろ考えるものなのか幼児が頭で意識して考えているわけではありませんよ。無意識のうちに心にそう感じとっているわけです。頭で考えるというよりも、ちょうど犬猫と同じような、動物的感覚でとらえるといったものなのです。あえてそれをことばで表現すると、以上のような風になる、というわけです
だめと宣言してやったそのあとが大切
さて、買ってやったら、子の喜びを、それじゃあ、共に喜ぶ。

 

育児に関心があ

もし、買ってほしいといっても、買ってやらない方がいいと思うとき、どうするかしっかり、す。子どもの残念さを、しっかり共に味わってやり、するということが、大事なのです。
だめ、買ってもらえない子どもの残念さを分かってるのだナ買わないと断言し通して、共有するので
母さん、と、子が納得
買ってくれないの?
よ。それでもいいの?
友達みんな、持ってるんだよ。
ボクだけなかったら、友達になれないんだ「友達!みんな!買ってもらってるのーそうなのーじゃあ、大変だなア。だのに、それはうちは買わないんだから。そのことで話が持ち切りになっている間じゅう、おまえが大変だよねぇ。
うちは、買わないのよ」

そんなこというのは、親が子をいじめてるのじゃないか、ねえ!
「うん。いじめられてると、おまえ、思っちゃうのだろうね。ほしいときは、ほしい。夢中だものねえ。だのに、私は親として、おまえをいじめているわけじゃないのよ。おまえだって、分かることなのよねえ、やがては、ねえ。ほしいものは、次々、いっぱい。それをぜーんぶ買うわけにはいかない。おカネって、限りがある。どこのおうちも、そのつかい方を、それぞれの都合でみんな、親がきめる。それがほしいのね。ほしい気持をどう耐えるか。辛い工夫だね。うちは、それを、おまえに買っては、やらない」
母性から出た自然の言葉
母さんは私がこういう話をするといつ

勉強することの意義

堂々と、買わないものは買わないと宣言して、同時に、買ってもらえないで残念な子どもの気持を、しっかり分かっているよ、と、これもまた、堂々と表現してやる。

残念なのが分かる。
だのに、買わないこのだのにが、大事な接続詞です。ここを、もしも、だけど、いくらでもそんなもの買ってたら、きりがないでしょ。
といってやるのですね。

残念なのは分かるわよ。
ね、それ、分からないの?
というように、
だけどでつないで、あとは、分かりなさい分かってほしい
分からないのと、子への命令や、嘆願や、愚痴になるから、子に、いくら分かる分かるといってもちっとも分かってなんかないじゃないか、と思わせてしまうのです。

高校で行ったらどうなってい

ほんとのところは、みんな買ってるといっても、そのみんなは、せいぜいのところがシンちゃんとコウジくんと、ヨッちゃん程度であって、キヨシくんや、モンちゃんや、買ってない子も、しっかりたくさんいたりするのですね。だから、我慢する腹がまえさえしっかりできてしまえば、どうということもない。
でも、それを、親の方が攻める材料にして
みんな、みんなって、キヨシくんやモンちゃん、買ってないじゃないの!
なんて、気楽に冷たく、これみよがしにいったりすることは、それもやっぱり、親子で勝ち負け意地の張りあいになってしまうのですね。
大学院在学中から慶應女子高の教師になり実際

子どもと歩いているとき


「みんな!そう!じゃ、残念ね!うちは買わない!残念なおまえの気持、分かる」
と、しみじみ、心の深いところから、いってやれるならば、むしろ、子どもの方からでも、キヨシやモンちゃん、買ってないんだから、ななんて、自然に呟いたりして。
大事なものなら、買って、一緒に喜んでくれる。大事なものでなきゃ、だめ、といって、の、そこを、こちらの無念も通じている。
うちの母さん、しっかり、はっきり、している。
ボクのこと、分かっている。
っちかそういう安心が、子どもの我慢
を育てる。
心の土台が培われるのですよ。
疑わしい、確かめたい
ウソばかりつくので、なにもかも心配
うちのヨウタは、このごろ口から出まかせのウソばかりつく。
見えすいたウソを平気でつくので、とっちめようとすると、もっとひどいウソをついてごまかして、その場を逃れようとする。
こんなことを放っておいていいのだろうか。
ヨウタのお母さんは、気になってたまりません。
きのうも、親の姿を見た途端に右手を後ろに廻すので、なによ。

しつけの不足

母親が血相を変えて

子どもも大人も、そういうものなのですこれは、のうちに、なにも、頭で考えて、意識してそうするのだというより、知らず知らずのうちにそうなるのですよ微妙に、心で感じて、無意識だから、子どもに、さあ、分かりなさい、と頭ごなしに命じて、意識的にそうさせようと思って、親がいくら頑張ってもだめなようなら、それをもっと繰り返すのは、もっとだめ。
ことばでやいやいいうのではなくて、こちらが、態度で示すと、向うの態度もいつしか変ってしまう、といった無意識のうちの、気持の伝わり方の問題ですからね。
子どもが、なにかを買ってもらって、これだ、これだ、やっと買ってもらったぞ!と、思わず顔がほころぶのを見たとき、親は、そっけなく嬉しいのなら、大事にしなさいよと、お小言めいて、忠告するのが、親らしい対し方だと思わず、むしろ、一緒に喜ぶことが大切です。
子どもたちの面倒

母の死を通して人は死を知るのです。

わー、よかったね。
とうとう、それ、手に入れたね!

と。
そのときの、親の気持を、ちょっとくわしく書きます。
わー、よかったね。とうとう、それ、手に入れたね!
こういうものであれば、子も嬉しい。
実は、親の私は、世代が違うので、幼いもうひとつ実感が湧かなくて、男の子のおまえが、くいのよ。
どうしてそんなものをほしがるのか、分かりに
でも、おまえが、それを手に入れた瞬間の、おまえの喜びよう気持は、びんびん伝わってきた!
おまえの瞳は輝き、顔中ほてったように興奮したのを見た瞬間、私は、あー、おまえの歓喜を私は、この程度のお金で、買い入れることがまえの輝いた瞳は、宝石以上の宝だわできたのね、とそれが、こちらの歓喜であった。

 

子どもはさらに頑なになる。

おあの人にもらったエンゲージ·リングよりも、おまえの喜びの一瞬の瞳の輝きの方が、らめき。結婚して、子どもを生んで。この人生が、私の宝物なのね美しいき私、それを思っちゃつたのよ。
あー。それを、買ってやって、私、よかった!随分おおげさ過ぎる表現のようでも、私自身、こういう思いに親がなることを、少しもおおげさとは思っていないのです。
人生の充実って、あ、ほんとうになんでしょうか。
感じて、いったい、私、く尊く思うこと。
と、そういう感じのなかにいることの安らかさの一瞬を限りな生きている!
それが、人生の充実というものでしょう。
その、人生の充実の感覚を、それが子育ての意味のすべて今しっかり、子どもと共に味わっているのだ、ではありませんか。
学習で理解を深めることができたという例もあ
子ども結婚して

子どもが自分で食事をとり身辺の処理ができるよう

という実感を味わう。
でも、その思いは、一瞬のもの。一瞬のもの、ということは、いうことです。いつまでも、ずっと掴んでおれない。
一瞬のうちに逃げていくものだとだからこそ、その一瞬を、いとおしむこと、いつくしむことです。
で、また、そんな一瞬を、いくつもいくつも、味わい重ね、味わい積むことができれば。
ほんのささいな、日常の折節に、味わい重ね、味わい積むのです。喜びを。心の充実を。

教育というのは実はそういう工夫のための場をすべて

対立だ勝つか負けるかだと思う子どもの悲しさ
自分が喜んでいるときに、親がいかにも不平顔で、お小言めいたことをいうとき、子どもは意外と、親のそういいたい気持が身にしむというよりは、実感として、ア、違うんだナと思ってしまいがちです。それで、いくらほしいものを買ってもらっても、心の底でなにやら、淋しい。
親と子は、いつも反対なんだナと。
子が嬉しいとき、親は残念なのだと。
子がトクをしたとき、親はソンをしたわけだと。
子どもは思います
ボクだってニンゲンだもの。親にも喜んでほしいと思うのさ。でも、親と子は、いつだって、反対なようだから、ママが喜ぶときって、ボクが悲しいときでしょ。ああ、とうとう、あんなもの買わされちゃったわ、と、ボクがなにかを買ってもらったとき、ママはとても悲しそうだし、どうでも買ってもらえなくて、こっちがごね通している間、ごねるボクを怒るばかり。
しつけの不足

両親が受容の能力の持ち主であれば


こっちがあきらめきれないまま、ごねるのをやめたら、よかった、よかった、無駄金を、この子に遣わされなくて済んで、助かったわ、って、ほんと嬉しそうなんだから、ママにいくら喜んでもらったって、こっちがそのたびいやな悲しさなんて、つまんない。
やっぱりボク自身の喜びをとるしかないンだかママの喜びか、らさボクの喜びかってことになりゃ、対立なんだ。勝つか負けるかなんだ負けたら、悲しい。その悲しさはしかたがないのだと、そう思うことに慣れてしまうと、親がなんのお小言を並べたてようと、あれは母さん自身の残念さをいっている。