しつけの不足

母親が血相を変えて

子どもも大人も、そういうものなのですこれは、のうちに、なにも、頭で考えて、意識してそうするのだというより、知らず知らずのうちにそうなるのですよ微妙に、心で感じて、無意識だから、子どもに、さあ、分かりなさい、と頭ごなしに命じて、意識的にそうさせようと思って、親がいくら頑張ってもだめなようなら、それをもっと繰り返すのは、もっとだめ。
ことばでやいやいいうのではなくて、こちらが、態度で示すと、向うの態度もいつしか変ってしまう、といった無意識のうちの、気持の伝わり方の問題ですからね。
子どもが、なにかを買ってもらって、これだ、これだ、やっと買ってもらったぞ!と、思わず顔がほころぶのを見たとき、親は、そっけなく嬉しいのなら、大事にしなさいよと、お小言めいて、忠告するのが、親らしい対し方だと思わず、むしろ、一緒に喜ぶことが大切です。
子どもたちの面倒

母の死を通して人は死を知るのです。

わー、よかったね。
とうとう、それ、手に入れたね!

と。
そのときの、親の気持を、ちょっとくわしく書きます。
わー、よかったね。とうとう、それ、手に入れたね!
こういうものであれば、子も嬉しい。
実は、親の私は、世代が違うので、幼いもうひとつ実感が湧かなくて、男の子のおまえが、くいのよ。
どうしてそんなものをほしがるのか、分かりに
でも、おまえが、それを手に入れた瞬間の、おまえの喜びよう気持は、びんびん伝わってきた!
おまえの瞳は輝き、顔中ほてったように興奮したのを見た瞬間、私は、あー、おまえの歓喜を私は、この程度のお金で、買い入れることがまえの輝いた瞳は、宝石以上の宝だわできたのね、とそれが、こちらの歓喜であった。

 

子どもはさらに頑なになる。

おあの人にもらったエンゲージ·リングよりも、おまえの喜びの一瞬の瞳の輝きの方が、らめき。結婚して、子どもを生んで。この人生が、私の宝物なのね美しいき私、それを思っちゃつたのよ。
あー。それを、買ってやって、私、よかった!随分おおげさ過ぎる表現のようでも、私自身、こういう思いに親がなることを、少しもおおげさとは思っていないのです。
人生の充実って、あ、ほんとうになんでしょうか。
感じて、いったい、私、く尊く思うこと。
と、そういう感じのなかにいることの安らかさの一瞬を限りな生きている!
それが、人生の充実というものでしょう。
その、人生の充実の感覚を、それが子育ての意味のすべて今しっかり、子どもと共に味わっているのだ、ではありませんか。
学習で理解を深めることができたという例もあ
子ども結婚して

子どもが自分で食事をとり身辺の処理ができるよう

という実感を味わう。
でも、その思いは、一瞬のもの。一瞬のもの、ということは、いうことです。いつまでも、ずっと掴んでおれない。
一瞬のうちに逃げていくものだとだからこそ、その一瞬を、いとおしむこと、いつくしむことです。
で、また、そんな一瞬を、いくつもいくつも、味わい重ね、味わい積むことができれば。
ほんのささいな、日常の折節に、味わい重ね、味わい積むのです。喜びを。心の充実を。

教育というのは実はそういう工夫のための場をすべて

対立だ勝つか負けるかだと思う子どもの悲しさ
自分が喜んでいるときに、親がいかにも不平顔で、お小言めいたことをいうとき、子どもは意外と、親のそういいたい気持が身にしむというよりは、実感として、ア、違うんだナと思ってしまいがちです。それで、いくらほしいものを買ってもらっても、心の底でなにやら、淋しい。
親と子は、いつも反対なんだナと。
子が嬉しいとき、親は残念なのだと。
子がトクをしたとき、親はソンをしたわけだと。
子どもは思います
ボクだってニンゲンだもの。親にも喜んでほしいと思うのさ。でも、親と子は、いつだって、反対なようだから、ママが喜ぶときって、ボクが悲しいときでしょ。ああ、とうとう、あんなもの買わされちゃったわ、と、ボクがなにかを買ってもらったとき、ママはとても悲しそうだし、どうでも買ってもらえなくて、こっちがごね通している間、ごねるボクを怒るばかり。
しつけの不足

両親が受容の能力の持ち主であれば


こっちがあきらめきれないまま、ごねるのをやめたら、よかった、よかった、無駄金を、この子に遣わされなくて済んで、助かったわ、って、ほんと嬉しそうなんだから、ママにいくら喜んでもらったって、こっちがそのたびいやな悲しさなんて、つまんない。
やっぱりボク自身の喜びをとるしかないンだかママの喜びか、らさボクの喜びかってことになりゃ、対立なんだ。勝つか負けるかなんだ負けたら、悲しい。その悲しさはしかたがないのだと、そう思うことに慣れてしまうと、親がなんのお小言を並べたてようと、あれは母さん自身の残念さをいっている。