教育と考えているのです。

母性の行きつくところ

いつでも安心できるひとりのひとが、自分を一貫して見守ってくれていて、そのひとがよもやいなくなるなどとは、の隅にちらりとでも思うことがない.という安らかな情緒が、精神発達の土台として、しっかりできている子どもと、それのできていない子どもとの違い、といえるのかも知れません。
里親になったひとは、そのひと自身、自分の人生には納得しているのだし、夫婦のつながりは安定しているのだし、安定しているからこそ、ひとりの子どもを育てようというわけです。子どもにはじめて出会ったとき、里親たち自体が安定した気持で、子どもと出会うのは、当然ですところが、一方、子どもは、とても安定していない。子どもに保障しようということでもぁるのだそれは当然のことで、集団施設は、子どもの出入りも頻繁です。きのうまで隣のベットにいた子がきょうはいない。やっと仲良しになって、たとえば、その子のたてる音が独特の食器の叩き方であり、声などもすっかりなじんでもいたのに、変って、全くはじめての子の泣き声が、ある日からはじまる。
自分だって、ある日ここへ連れてこられたとき、こわくて落ち着かなくて、声が涸れ涸れになってもまだ泣いていた。あまりしゃくりあげて泣いたので、一日中、しゃくりあげる胸の動きが止まらなかった。だから隣の子の泣き声も、随分辛く心に響きます。
安心して飛び込んでいけるひとりのひとの懐、というのがない慣れないひとが親切づくで顔をのぞき込んでくれるときほど、なにか不安になったとき、保母さんは、交代制です。
不安でせつないことはない。
部屋の壁の色、天井のどこまでも高い、その高さ。天井のスミに、黒々と、あれはなになのか。
とにかく、まわりの色、形、匂いも、入れかわり立ちかわりのひとも、みんな不安のもと。

  • 学校に進んだというようなこともあって
  • 小学校はここだもん
  • 子どもがうるさがるのはそこに楽しい雰囲気がないば

子どもはほめて

慣れるのに、どれだけの努力が、測りようのないものなのですね乳児、幼児のエネルギーをつかわせているか。
これはちょっと賑やかな声が、一角で起こったとき、幼児ながらに、どきっとするどの子かが、また、別のところへやがて消えていくことになるのだろう。
この世の最後という泣き声が、またこの部屋中に響きわたることになるのだろう。
だって、どこかまた知れぬ世界への移動!
それは、せっかく慣れたこの部屋の色、形、匂いからの別れにこにこと、げらげらと、わーわーと、幼児達の入居と退出のたびに陽気である。
子どもらの心の奥の不安は、限りなく暗い。限りなく重い。
大学出たって
大人達は、それに反して、だから、子どもは、入居と退出のたびに、世を限りの叫び声、泣きわめきに、我を忘れる新しい里親さんが、家庭に、ようやっとのことで、いやがる子どもを連れて帰った。

ここは、きみのお家なんだよ、これからずっと。ね、キョウイチくん?
なんだか、でーんと、安心しきった顔をして、こちらをのぞき込んで、気楽げにそういってくれる見知らぬひとの、匂いも、声も、動きも、なにもかもはじめての子がそう簡単に慣れるわけにはカなしそちらの心の安定度と、こちらの心の不安定度とその隔たりの、なんというはるかさ。子どもに挑戦させてあげましょう。

育てられた今

おい、子どもって、もっと単純に、なつくものだよなぁ向うへ声を掛けたら、不審顔いっぱいの女のひとが出て来て、それこそ作り声でこっちへいらっしゃい。これ、食べていいのよ。ほしいだけね
緊張して不安いっぱいの子どもには、そこに示してくれているものが、リンゴだかおせんべいだか、それを見分けようという気持なんかさえ、かけらもない。
だからもちろん食欲もわいてはこな
遠慮しなくていいのよ、はい
といいながら、相手はずかずかと近づいてくるではないか。逃げなきゃ。戸口にへばりつく。

ほほほ、私をこわがっているの?こ横から、このおばちゃんが、きょうからキョウイチくんのお母さんだよと、男がいうオカアサン?オカアサンて、なにだ?分からないことだらけ。いやだいやだ。帰りたい。
だから、ね。それで、ね。子どもに挑戦させてあげましょう。

子どもに挑戦させてあげましょう。

この人がと自分を指してお父さん
と、男は、にこやかにいう。
オトウサン?
オトウサンてなんだ。
ぼくは知らない。
知らないひとだ!
幼児は、しかし、心の思いを、精確に相手に伝えるようなことができるはずはありません大人のことばと、子どもの心はねじれあっていて、触れあうところがない。
せめて、子どもの目の色、肩のすくませ方、ちょっとしたこちらの感情の変化に過敏に対応して、ドキドキ、と身が縮む。体のすくませ方のひどさ。不自然さもの心の奥の不安定の底深さを、読みとってやれねばなりませんそんな動きや反応から、子どまた読みとったものを、ここまで読みとっているよと、なくてはなりません。


子どもに保障しようということでもぁるのだ 子どもに保障しようということでもぁるのだ 子供がいいことをすれば

子供自身なのですその使命

先生たちが工作の好き

向いの子は、バスにでも乗ってお母さんに連れられて来たのでしょう。何人もの順番をおとなしく、母親の隣に、ちょんと坐って待っています。
おとなしく待っている。それもそのはずです。その子は、なにかを夢中に読んでいました。
でいるものがおもしろくて、待っている時間の長さを気にはしていなかったのでしょう。
読んところが、いわずとも良いのに、お母さんが、耳元で、シゲト。もうすぐよ。あのおじちゃんの次。あと、もう三分
それを聞いて、子どもは、読み物の世界から、現実の理髪店へ、意識が戻って来ました。
もうすぐの声で、ほーっと息を吐き、本をたたんで、横へ片付けてしまいましたから、その三分を、あとはひたすら待つばかり。母性から出た自然の言葉あいにく生憎、ちょうど私の頭の上、子どもの向いに、時計がチクタクと変らぬ音をたてていました。三分が過ぎました。でも向うのおじちゃんは、店主に髪を梳いてもらいながら、のんびりと会話を続け、店主はまたまたハサミをもって、手直しをしたり。それから洗髪、そのあとでひげ剃りという手順でしたから、もはやお母さんのいう三分はとっくに過ぎたのに、一向にその子の順番が来そうにありません。
す本の世界に入っている間は、現実の時間など、気にならなかったのに。
これでは良かれと思って子は親に文句をかけた母親のことばが、小さな親切、大きなお世話だったのですね。
待ち切れず、いいはじめました母さん。三分、とっくに過ぎたよ
でもお母さんはまるで無視して、週刊誌から目を離しません。

  • 子供の記録をつけることである。
  • いじめつ子を相手にする
  • 子どもがい

しつけのため

子どもはお尻をもぞもぞ動かし母親の腕を掴んでゆすり、またいいました。

だから、ねえ。どれだけ待ったと思うの。もうしんどいよ。帰りたい!
お母さんは、活字から目を離しもせず、まるでハエでも払うように、
じっとしてなさい!じっとじゃけんと、邪慳に、「だって、さ。
掴んでゆする腕を振り払おうとしたので、じゃどうして三分っていったんだよォ。
そういう軽視のされ方に、子はねえ、どうして三分だよ。三分なんか、とっくに過ぎたよ」
と随分のいらだちですね。子のいらだちを、もう自分の力では治められないと、めているのでしょう。そっぽを向いて、顔つきはいつしか、つんと怒り母親はすでに読「いいよ。
もう帰るからな。
ねえ。
いいの?
母親を混乱におとし入れているような例もあります。
帰るよ。
帰るっていってるんだよ」
気遣い気遣いの抑えた声ながら、まわりの私などの待ち客をハスカイに眺めて、付きで、帰るからな、りました。
親には険しい目どうかしなければならなくな帰る!
と。
もう、これで、ついに母親も、
だったらね、シゲト。今から帰って……といって、このお母さんも、家でいうのとはちょっと違うのでしょうね、あたりにはばかりながら、抑えた声で、でも、この一声で、子どもを完全制覇よ、という自信から、わが子をバカにしきった調子になり
今から帰って、あしたまた、はじめから待つ気?学校で教わったこと言ってみなさい

子育ては人生

といい放ちました。どう?いい返せる?こっちの勝ちでしょう!と、いう声です。
すると、反射的に、シゲトくんは返したのです。

なんにもあしたの話してないわい。今、帰りたいというとるンじゃ!
思わぬ逆襲に、お母さんは思わず、むかっと来て、いささか次の対応には感情がこもります。

だから、いってるでしょうが。今じゃなくって、あしたのことを考えなさい、と
だから、いってるでしょうが。あしたのこというなって。今のことをいっているのに!
だって、あしたのことを考えたら……
だって、今のことをいってるのに……
期せずして、親が、
分からない子ねえ!学校で教わったこと言ってみなさい

学校で教わったこと言ってみなさい

子は、分からソ親やなアー
同時に、相手は話にならない、分からン相手だと、断を下しあったのですね。
ああいえばこういう。話の行方どこへ
互いに腹いせはつのるだけつのっています。子どもは元に戻って、やっぱりもう一度、もうオ。帰りたいよオ
すると、母親は怒った調子で帰りたけりゃ帰りなさい。あしたは自分ひとりでいらっしゃいね。ついて来てやらないから

ついて来てなんか、いりませんよーだ
は、ついてなんか来てやりませんよさ子は、しばらくひそんでから、奇襲作戦です。語調がすっかり変っています。脅しの口調で、
こんな遠いところ、ひとりで来れソじやソか。来ていいのかよ、ひとりでほらごらん、という勝ち誇り。
うしてついて来てやったものの、ひとりで来させるのは、確かに本来は禁止。だから、きょうもこどうせひとりでよう来ソくせにと高を括って、母親はいう。


母性から出た自然の言葉 子どもたちの面倒 子どもの本質を理解する