母性から出た自然の言葉

子どもも自然と身につきます。

気にしなくていいなんて、いってくれるから、ゲンヤは、かえって気になってしまったのですよ」

それで、どうなさいました?と、私は問うた。
「しょんぼりしているのを見れば、かわいそうですもの。結局は、みんな一律の書道用具、深刻に買ってやりました」
「買ってやったのですか。買ってしまったのだったら、先生のこと、よ」と、私はいったのでした。そして、つけ加えました。
文句をいう資格はないのです「先生が、気にすることはないって、いってくれたの?そう!それじゃ気にしなくていいのねーと、親が明るく元気にいって、よかったねといった軽やかな調子で、さあ、しごとしごとと、台所へでも立っていったあと、子は、ああそうか、気にすることなんかないやって、明るさを取り戻しもできるでしょうに。
子どもの本質を理解する

子供たちにはいつ

親が、ひっかかっちゃいましたね」と。
私の話を聞いた相手は、ア、と口をあけて、それからなるほど
だれもが、ひとことの工夫ですね。先生だけでなく、親も。
と呟きました。
ちょっとした違いを、間違いととるか、工夫とみなすか。
これは、生き方の基本の違いになっていくように思うのですなにかしくじりをしたあとでも、反省するか、後悔するかの違いになっていくのですねゲンヤくんの先生は、自分だけ違ったものを持ってきた子は、間違いなく後悔しているものだとひとり合点したのでしょう。その裏には、日常、全部揃ったのが0で、違うのは×という、なんだかテストの採点のような基準を、知らず知らずなににでも適用する習性になっていると思いますだから、違っていいのか悪いのかを、事の種類や状況においてしっかり分別することなしに、違っていたら、子がだめと思うに違いない。

 

成績がみるみる上がりました。

肩をすくませているのを励ましてやらねば、という発想に、はまり込んでしまうのだと、思われます。
それぞれが、独特の違ったものでいいということは、世の中でいっぱいあるのに自分が、これでいいと思えば、これでいいのだ、としっかり自分の意見を持つ。
これは大事です後悔をせずに、しっかり反省するのです。
間違いと気づけば、間違いを改めれば、それでいい。後悔反省は、まるで違います。
とにかくひとのを真似てれば、自分でそれがよしと思えなくとも、みんな同じだから、ね。
それでいあいまいいのだろう、と、なんだか曖昧なときは、まあ、それでいいのですね。
でも、どうも違うと思うとき、しっかり改める。反省して改める間違いをおそれない習性。これが、自信の生まれるもとなのですね。
記念写真を川崎市で見つけた
母さんの驚き。

子どものように喜んでいる父であ

ことばが子どもの心に届くとき
自分のことばが、ちゃんと子どもの心に届いているようだ、と感じとれるとき、親としての自信が湧いてくる、というのも確かなことです。
親のことばが、しかし、ならないのだと思います。
子どもの心に届くには、まず、逆に、子の心が、親に届いていなければ

歳になるかならずの子が、あ、コイモドリ!と大声をあげました。

こいのぼりのことですね。親が、子の見上げている空の方を見もせずに、そっけなく、こいのぼり、でしょ。も一度いってごらん
だから、コイモドリが、ほら、向うのお空に
親は、ことばを正しくいわせたいのです。ところが、子はそれどころではない!
子どもは、なによりもとりあえず、びっくりする向うを眺めてもらいたいのですね、親に。
親はが大事で、子はが大事、とそれぞれ主張がズレているのですよ「どうしていい直さないのよ、ほら、いってごらん、こ·い·の·ぼ·り」
「どうして一緒に見ないの、コ·イ·モ·ド·リー見たくないの?

母親が自分自身の首を締めることになる。

見たくないならいいよ」
親は子にことばが届かないのでいらだってしまいます。
子は親に心が届かないので、シラケています。人生はこうして、シラケに満ちたことだと、幼児ながらも、これに似た、いっぱいの経験で、おもしろくない子に育ってしまうのでしょう。
ここをもし、あ、コイモドリ!と子どもが叫んだとき、とりあえず、ことばがどうであるかよりも、ああ、この子、はじめて見るこいのぼりなのだわ、大空に大きなこいのぼり、と、たちまち親自身も空を仰ぎ、あ、ほんと。悠々と泳いでる!と、感嘆の声をあげることができていればャネョリ、タタイ、コイモドリ親も声をあわす。
青い空、風にはためくこいのぼり。
緑の匂子どもは覚えたての歌を唱いだす。
い土の香り。
子供自身なのですその使命

教育をした覚えはない


向いあって、対峙する視線でなくて、こいのぼりの空へ、親と子の視線は同方向なのですね同じ方向に、平行に、視線が生き生きと向いているとき、心が触れあいますね。

コイモドリ、はじめて、見ちゃつたほんと、ユカ、はじめて、こいのぼり見たわね
うん、はじめて。大きいねえ
大きいねえ。ユカ。ね、あれ、こいのぼりと、ちょっとことばを教える気配。
だから、コイモドリ、でしょと、ちょっと確認する気配そのとき、ああ、なんだ、まだ発言はうまくできないのだ。できないときは、できないときちょっと、子どものに添うてみれば、の確かめも慎重で正しいものになる。
いいたいらしいのね、正しくこいのぼりと。

子どもの本質を理解する

子供の心の安定につながる

そして、矢庭に、自分の隠し持っていたボールを、ポケットの中から取り出して、子どもの顔めがけて投げつける
ええい、これでもか!
その投げ方、親の顔つきを見て、子は悟るでしょう。
あ、そうか。キャッチボールではなかったのだ。つぶての投げつけあいだったのだ!と。
それからは、そのあたりの石を拾って、これでもか、投げつけあいは、キャッチボールとは違うのですねこれでもか。子供自身なのですその使命大人同士の会話など、ほとんど石のつぶての投げつけあい。
教員同士の組織の対立など、盾と矛を持って、ほんとに互いに、やっつけあい。
それは、ひとつのボールを、ちゃんと受けて、ちゃんと相手に返すキャッチボールなのではない。
ことばが子どもに届くとき、子どもの目が光ります。
光っている目を見て、今光っているね、と、確認をさらに、こちらが重ねますそれで、子どもは故知らず、自信を持つのですね。自分はひとと共に生きているのだ、ということに。すると、不断に、今度は、ひとの目が光る瞬間を、いくたびも重ねて味わいたいものだと……。そんなあこがれを、幼い胸に秘めて育っていくでしょう。
人間の思いの向きは、たくまずして、ことばに滲みでます。
それを、どこまで正確に、素直にしっかりと、そして豊かに読みとることができるか。

  • 子どもが言うことをきかない
  • 子どものの芽をつみとってしまわないように心
  • 教育もいい。

中学生程度

世の中がギスギスするのも、なごやかになるのも、そして、人間関係が、後ろ向きになるのも前向きになるのも、そこの豊かさ次第というわけで……。
なんといっても、育つ子どもは、世の光。
子育ての自信を持つために
人間関係がうまくいかなければ、子育ても難しい
育児というのこそ、ほんとにつくづく思います。習うより、慣れよですね慣れている親と、慣れていない親の違いは、大きいですね。
といっても、はじめての出産は、だれだってはじめてですね。最初から、すでに何度も出産を経験しているなどということがあるはずはありません。
習うより、慣れよ
だと、つくづく思うのは、一人目より二人目、二人目よりも三人目、子育ての経験は、重ねる方が、より自信のあるものになる、という意味ももちろんありますが、それよりも、自分が、いろいろな機会を通して、自分自身の出産と哺育の実際の体験だけでなく、世間のいろんなひとのいろんな子育てに、どれだけ関心を持ってきたか、ということ。
子どもの気持ちにうまく自分を寄り添わせます。
それらが随分と育児の自信の持ち方に、違いをもたらすものだということです。
それから、普段から、育児について、どんなことでもフランクに話しあえる人が、てくれるということ。これも、自信につながりますねかたわらにいもちろん、たとえば、お姑さんが、それはそれは孫の育児に関心があり、なにくれとなく世話もしてくれるし、助言も惜しみなくしてくれる。ところが、それが世代の違う若い母親の考えとはとことん喰い違っているので、役に立つどころか、迷惑至極だ、ということだって、やっぱり、あるわけです。反対に、教えてもらえないと分からないことも多いし。
どちらがほんとは正しいのか、ということになると、一概に古い世代が正しいとも、正しいともいえないでしょう。子どもが自分自身のいやな面にそっくりなのを見て

子どもに聞いていく

いいところを、取っていかねば。どちらのも、ね若い世代がなににしても、どうかと思うやり方を、強制されて、すぐその通りやりなさいと、監視されるなんてことにでもなると、それがたとえ正しいやり方であったとしても、素直に指示に従えない。それをやられる子どもにとって、到底気分の快適なものであるはずはありませんから、率直にいって見解のことごとにずれる姑への対策についてこそ、フランクに話せるひとを、だれかひとり見つけておくことも大事ですね。
小さな相談室を、自営して、二十年近くになります。子どもが自分自身のいやな面にそっくりなのを見て

子どもが自分自身のいやな面にそっくりなのを見て

それまでにも、結局、私はずっと相談といわれるしごとにかかわってきましたが、合わせて三十年以上の相談のしごとのなかで、一般的に育児という点について、つくづく大変だなァ、と思うのは、愉しくリラックスして、自分の育児の現実を包み隠す必要もなく、互いに話しあえる相手を持たない母親のことですね育児の自信を持つには、だからまず、れば、ということになりますね母親自身が、ひとと触れあうことを愉しいと思うのでなけまことに辛い話になりますが、私が、里親をふやすための民間活動の団体社団法人·家庭養護促進協会にいたとき、子どもを引き取って里親として子どもを育ててみたいという多くの志望のひと達のなかに、次のような方もいたのです。


子供自身なのですその使命 子どもに選ばせます。 子どもに選ばせます。