子どもたちはとくに国際時代に直面する

母さんは意外なほど多いのです。

子どもって、素直になるきっかけがどこかにあったら、なりなさいといわれてなるのではなくて、いつも意地をつっぱっているような子どもでも、つい、知らぬうちに、素直になります。
無意識のうちに、頭で考えてなるのではなくて、からね。
心になにかを感じて、その刺激で、なるのです
ウソということばを、遣わないことにする
そんな風に、自分から、いい出さないで、ウソはそのままになってしまうこともそのときは、不審なら、見込みをつけて、隣のおばちゃんに貰ったというのなら多いですね。

  • しつけてすぐ
  • 育ててきたのだからこれで大丈夫
  • 勉強するとも思えません。

先生との接触を求める。

この間はありぐらいに、隣人にいってみたりして、ああ、やっぱり、と感じとったり。
あら、なんのこと?なんて、向うが訝ってたりがとう
したら、
きのう、うちのが、おたくのオモチャ、あっさりいってしまえば、あるいは、間違えて持って帰ってきてしまっているようなのと、
ああ、うちのショウイチが、どこかで無くしてきたんだと思ってた、そうそう、プラスティックの怪獣ね
なんて、さらさらやりとりして、しっかり確認したり。とにかく事実を確かめることです。
でもそれで、確認したからといって、それを、帰って子どものとっちめの材料にはしないことですよ。
つまり、家に帰ったお母さんが、ヨウタくんの前に立ちはだかり、
きのうのオモチャ!ほんとうのこと、いいなさい。ほんとに貰ったの?

貰ったよー!

ウソじゃないの、そんなの!母さん聞いてきたわよ。おまえが、とってきたんじゃないの違うよ、貰ったんだよ、貰ったんだよ

どうしてそんなに、ウソばかりいうの?子どもが自己主張しなくなる原因として

子どもは確かな意欲を燃やします。
子どもは確かな意欲を燃やします。

両親は喜びました。

咎める気持で、ついこういういい方になるのでしょうが、つっぱってる子に、どうしてどうしてと問うてみても、子どもはどうして自分が、事実でないことをいい張ってしまうのかなんてことを、心理学者じゃないのですから、自分から説明などするはずはないのですよ。
だからどうして?と、体をねじって残念さを絞り出すように、詰問を重ねないこと。
それでますます、子どもは、つっぱねる気にさせられてしまうのですからね家に帰ったお母さんは、さらりと、しかし、しっかりと、明快にいう。
「ヨウタ。間違えてた、おまえ。おばちゃんに貰ったのじゃなかった。ショウイチくんにも貰ったわけじゃなかったみたい。
間違えるときは、うん。
間違える」

だって、
そうか。

だって「そうね。
放ってあったんだももういらないものかナ、と思ったのか。
で、黙って貰ってきちやったヨウタが、気分が悪そうにしてたのは、間違えたことが、間違えたこと、返しに行こう」

成長するにしたがって

いっちやったからなのよ。
よかったよ。
はっきり分かって。
ウソ
さらさらと、事実を明らかにしていけば、それにつれて素大人の方が有無をいわさず、直に、むしろ、子どももいつしか戻ってしまうのです。
スキップして行こうか
事実現実に、
お隣に行くの、なんて、気楽な親の提案が、子どもの気まずさの助け舟ですね。
うん、ボク、スキップできる、ほら
手ぶらで出て行こうとするのを、ほらほらと、そこらにころがっているオモチャを目線で示すと、ヨウタは、ほいほいなんて、自分に元気をつけるようなリズムの声も出て、その明るさの勢いで、隣に行ったら、ごめんなさい。

学習の進度を妨げる

持って帰ってっちゃったなどと、あっさりおわびのことばも出るでしょう。陰湿なやりとりになってはだめですね。
じっとりと疑わしげに
もう、ウソはつかないわね?
なんて、詰問すると、反省のきっかけになるどころか、親の暗さが子に移るだけ。

どうなのよ。返事をしなさいハイ
「お返事だけいくらよくってもだめ。ほんとにウソはつかないのね。ウソつきは母さん嫌いよ」
ハーイ。もうウソなんかっ!かなーい
こんなやりとり。
暗くて、こわーいのです。
あまり、ウソということばを繰り返さないこと。

母に渡していましたそのとき
母に渡していましたそのとき

子どもになったのかわからない

「ウソをいうのは悪いことと教えるより、マチガイをしたら、あとで直して、もとの正しさに戻ったら、それで正しいのよ」
と教える方が、あとに暗さを残しません。
ウソをついたらすごく咎められる結果、ただひたすら、咎められないように罰されないようにますます巧妙なウソをつく、といった成り行きつい、大人の問い詰めのまずさが、そう導いてしまいがちなのです。
間違いを正してしまったら、気も心も晴れちやったと、はっきり子どもの黒い瞳に語りかけてやれば、子はじんと心が暖まり、できたてのふかしパンの素直さに、戻るでしょう。
迷う、自分で決めさせたい
手を貸してやるなら上手な手の貸し方を
自分でできることは、なんでも自分でするようにしつける、つまり自主性を育てることが大切だとはよくいわれることですねそれで、たとえば、さっきから、靴下をはこうとしているのだか、ぬごうとしているのだかさっぱり分からないヨシコの遊び半分の実際は、手もとがまだまだ思うように動かなくて、もたついている様子に、お母さんがいらいらして、


子どもが自己主張しなくなる原因として 母さんとぼそぼそ話しだす。 学習で埋めていかないともったいない