母親は赤ん坊を舌で舐める代わ

先生がよいと決めるような話ではありませんか。

いいの?
ぼくだけだよ」

いいよいいよ。遊びに出て行けないのなら、オウチで遊びなさいよ。帰って来なくて、どこへ行っちまったンだか、探し廻りに行かなくって、大助かりだわ。ちょっと、これ、なにを引っぱっ買ってくンないのなら、な
余計、かわいそうじゃないの、と、隣の椅子に上って、母親の後髪を思いきり引っぱるのです。
買ってやらないから。やめて。あ、これ-ッ!もうどうしてそんそんなことをしたら、な悪いことを。
金魚達

腕を掴もうとするのを逃げて、椅子を引っくり返し、ついでに向うの金魚鉢を、ちあげようとして、横倒しにしてしまう。水も金魚も、床にあふれ出します。
両手でぐいと持
もうなんということを!そんなに困らせて嬉しいの!?
「だったら、買えよ。買ってくれよ。買わなきゃもっとやってやる。もっと困らせてやる」
「のきなさいよ、びしゃびしゃでしょ。ほら、この出目金魚、ただでさえ弱っているのに」
教育と考えているのです。

子どもの進路や将来

あたふたと、金魚を掴んで鉢に入れ直しているすきに、向うの部屋へとんで行った五歳児がいいのか、いいのかと声をあげて、母親の気を引いています。
見ると、なんと、隣の部屋の隅に寝かせて、今やっと、すやすやと眠っている赤ちゃんの、ルケットの、端を掴んで、今にも引っぺがしそうに身構えているではありませんか。
タオ
せっかく寝てンのに、起きちゃうわよ!
お母さんがそう声をあげるかあげないかのうちに、赤ちゃんは眠りを破られて、ウエエ·ウェェとむずかりはじめます。
走り寄って行きながら、お母さんは
もうお、こんなに悪いんだから。なにも買ってあげない、買ってあげない。
なーあんた、お兄ちゃんでしょ。

 

子どもを見る目がなかったらダメです

どうしてこんな悪いことばかりするのごはんも食べなさんしてやるわい、もっとしてやるわい
親がカァーッとなって、掴まえにいこうとすれば、ワーイ
と子どもは、おもしろがって、逃げていきますと、こんな風になってしまったら、もうどういっても子は聞かないと、親は投げてしまいますね。投げたらあとも、さらに、愚痴、罵倒。大事な一瞬の親子の気持が、隔たる一方です。
幼いうちから、こんなにひどくなってしまう子が、もちろんそんなにはいないでしょう。
こんなになってしまっては大変と思うから、むしろ、今どきの親は、子が少しむずかったら、親の方がそれを気にしてしまって、いうことを聞いてしまうようですね。
母親は赤ん坊を舌で舐める代わ
母さんに訴えてくることか。

子どもは自立していません

本心から買うのがいいと思ってものを買ってやるのではなくて、買ってやるというとき、親はつい、むずかるからしかたがなくて
しかたがないわねぇ。ほんとは、こんなもの、別に買わなくっていいと思うのよ。
慢しないのだから、しかたなく買ってはやるものの……おまえが、我などとこぼしながら、いやーな顔を露骨に見せて買ってやりがちですが、いくらほしいものを買ってもらって、ほしいものを手にして喜んでいる子も、親のその様子は、おもしろくなくて、心のなかに、なんだかこわばったものが残るのですね。
親が子の喜びを受けとめたことを示してやれているか
なにかを買ってやったときに、子どもがこれだ、これだ、やっと買ってもらった!という感こっちはちっじで、買ってもらったものを手にとって、思わず顔がほころんでいるのに、親が、ともおもしろくなんかないよ。

才能を見つけ

お金がかかってたまらないといった調子で、
大事にしなさいよ。せっかく買ってやったんだからね。ほら、包みを振り廻さないでなどと、いかにも残念げなお小言めいたことばかりをいうのは、子どもにとっては、ちっともおもしろくないことです。
そんないわれ方に慣れてしまうと、なにを買ってもらっても、の嬉しさが味わえず、だから、次々になにかを買ってもらって、うものなのですねもひとつ、気の晴れた心の底からもっと満足したいと思ってしま子どもが嬉しそうにするとき、親がその嬉しさを、確認を、まず、子どもに示さなければ。
母性から出た自然の言葉

学習面で高い壁を感じている


心で受けとめましたよ、というしっかりした子どもが、自分の気持は、親に通じている、という安心感を持ってこそ、どもも受けとめたい、と心から願うようになるのですからね親の気持を、反対に子ここのところが、一番大事なので、この本では、この1点を繰り返し、強調しますつまり、人間同士の心の通じあいということについての一般論です。
相手が、自分を分かってくれたら、自分も相手を分かってみたくなるのです。
相手がちっとも自分を分かってくれようとしないのであれば、自分も、相手を少しも分かってやりたくはない気持になるのです。

子どもに選ばせます。

子どもとそうでない


と、母親が勝ち誇ったように、子をバカにして、どうだ参ったかと、道理を押しつけるのではダメ。どうせ、子どもは気持がいらだって、事の道理を受け入れる余地などないのだから、まず、気持にゆとりができるようにしてやるためには、共感が大事なのですよねはっきりした共感情緒の共有、ということが。それは、所で説明したカウンセラー役のポイントです。こんな風に。
前作

子供の心が見える本
PHP研究「ああ、私はさっきから、もういらだって。待ち辛くって。だって、シゲトに、あと三分よっていったでしょ。あのとき、もうあのおじさん全部終ったのだと見間違えたのよ。三分位と思ったのに、なかなかなんだから、もう帰りたいぐらい。母さん方の多くはそうは考えていないようです。シゲトもそうなの。一緒だわね。いやーね」

ほんとにいやだなあ、長いんだよ。はじめから、どの位待ったと思う?

どの位待った?

もう五十五分なんだよ、この時計で!

ええ?五十五分!あーあ、私、家でし残して来たこと、あソのよね。
夕食の準備までに、それ片付けておきたいのね。
どうしよう。
もういや。
ああ、うんざり共感しあえて、シゲトはほっとする。
でも、お母さんが、子どもに負けずいらだつ。はじめは、親の落ち着かない、顔のしかめ方を見ているうちに、
なんだよ、母さん。
「だって、きょうは、夏休みに入ったんだ。
落ち着きなよ。大人でしょ」なんて、思わずシゲトがいう。

  • 子どもはどうするのでしょう問題の根源は実
  • 幼稚園の保
  • 子供にとってはそれが当たり前になってしまい

子どもがふぇていますが遅刻してくる

ひどい日に来すぎたわよ、もういやーね。子どもでいっぱいなのね。
だから子ども、そうだ、真っ昼間から多いんだ。
ああ、いやになっちゃ3「そんなこといったって、ぼくだって夏休みじゃなかったら、来れないじゃない」
「ええ?ああ、あ、そうだそうだ、そうだよね。でももう少し早くなソないのかしら。
もう帰ろうか」
……そうはいいながら、腰はでんと坐っていて。
すると子が、かえって、今帰って、あしたまたはじめから待つ気?母さんと、親に問う気になる。
だって、あんまり遅いよと母親が、実は、子自身のいらだちの代弁を「だから、ほら、この本、おもしろいよ。そっちの雑誌よりずっとおもしろいよ。
....。.もうすぐだからね。
ほら、もうおじちゃん、終りじゃないか、すぐだよ、すぐ」
子どもから友達扱いされていい気になっているうち
ことばの、キャッチボールか投げつけあいか
ことばのキャッチボールが大事だって、よくいうでしょ。
それって、簡単にできているようで、なかなかできていないのですねキャッチボールというのは、相手がひどい暴投をしてきても、腕を伸ばして、とにかく受けるの相手がさあ投げ返すよ、とサインをし、です。受けとめたボールを、右手にちゃんと持ち変えて、受ける構えに入るのを見て投げ返すひとつのボールがあっちに届いてから、こっちに返るのですよねああ、もう、待ち辛いよと、子が思わずいってくれば、受けとめて、ああ、もう、ほんとに待ち辛いねと返す。
帰りたいくらいだよといってくれば、受けとめて、帰りたいくらいだよねと、返す帰ろうよといったら、ほんと、帰りたいぐらい!と受けとめる。育児に専念したとき

子どもはすぐその場で模倣していなく

反射的にそう受けながら、泰然とした親の様子を眺めてみれば、帰りたいという気持は、自分だって、気持の皮相にあるもので、もうひとつ奥には、もう少し慎重に事を見極めたいという思いもあることが見えてくる。
皮相の部分が共感してもらえると、皮相のいらだちは隣人にまで広がって、つまり、広がった分だけ色が薄まるというか。皮相の色が薄まれば、もうひとつ奥の思いがあざやかに見えてくるのですね。つまり、子ども自身にも、「今帰ってしまったら、みすみす今まで待ったのが、惜しいんだ
と見えてくる。
ことばのキャッチボールって、そういうことだと思うのです。
向うのことばが、こちらの心に届く。
届いたよ、と声をかけて、こちらから返すすると、向うも届いたよ、と声をあげて、それからこちらへ返してくる。
し」

ことばが子どもに届くこの本の主題である、こちらが声をあげて伝えてやる。
のです。
子どもの心が届いたよと、子どもに届くことが大事なのだということなというのは、つまり、親のそのことばが、おまえの心が、こちらに届いたよと大人が声をかけてやる
ああ、確かに届いたようだと、その声を聞いて、子どもはほっとする。育児に専念したとき

育児に専念したとき

ほっとすれば、心がゆるやかに広がり、深くなる。
今まで気づかなかった別の一面が、自然とまた、見えてくる。
考える愉しさへの、意欲が湧いてくるねえ、しんどいよ。もう帰りたいよ

今帰って、あしたまた待つの?
と子がいったのに、親がと、したり顔に攻めて、ありません。
どうじゃ参ったかと、うそぶくのは、実はことばのキャッチボールではもう帰りたいよ、しんどいよ
と子がいってくるのは、いわば、子の投げてくる荒れ球。
まともにあたっては大変、と、身をよけて、球は後ろへ飛んでいったまま、親は見過ごしているのですね。体をねじってでもしっかり受けるということをしていないのですよね。


母さん方の多くはそうは考えていないようです。 しつけの不足 教育と考えているのです。

教育と考えているのです。

母性の行きつくところ

いつでも安心できるひとりのひとが、自分を一貫して見守ってくれていて、そのひとがよもやいなくなるなどとは、の隅にちらりとでも思うことがない.という安らかな情緒が、精神発達の土台として、しっかりできている子どもと、それのできていない子どもとの違い、といえるのかも知れません。
里親になったひとは、そのひと自身、自分の人生には納得しているのだし、夫婦のつながりは安定しているのだし、安定しているからこそ、ひとりの子どもを育てようというわけです。子どもにはじめて出会ったとき、里親たち自体が安定した気持で、子どもと出会うのは、当然ですところが、一方、子どもは、とても安定していない。子どもに保障しようということでもぁるのだそれは当然のことで、集団施設は、子どもの出入りも頻繁です。きのうまで隣のベットにいた子がきょうはいない。やっと仲良しになって、たとえば、その子のたてる音が独特の食器の叩き方であり、声などもすっかりなじんでもいたのに、変って、全くはじめての子の泣き声が、ある日からはじまる。
自分だって、ある日ここへ連れてこられたとき、こわくて落ち着かなくて、声が涸れ涸れになってもまだ泣いていた。あまりしゃくりあげて泣いたので、一日中、しゃくりあげる胸の動きが止まらなかった。だから隣の子の泣き声も、随分辛く心に響きます。
安心して飛び込んでいけるひとりのひとの懐、というのがない慣れないひとが親切づくで顔をのぞき込んでくれるときほど、なにか不安になったとき、保母さんは、交代制です。
不安でせつないことはない。
部屋の壁の色、天井のどこまでも高い、その高さ。天井のスミに、黒々と、あれはなになのか。
とにかく、まわりの色、形、匂いも、入れかわり立ちかわりのひとも、みんな不安のもと。

  • 学校に進んだというようなこともあって
  • 小学校はここだもん
  • 子どもがうるさがるのはそこに楽しい雰囲気がないば

子どもはほめて

慣れるのに、どれだけの努力が、測りようのないものなのですね乳児、幼児のエネルギーをつかわせているか。
これはちょっと賑やかな声が、一角で起こったとき、幼児ながらに、どきっとするどの子かが、また、別のところへやがて消えていくことになるのだろう。
この世の最後という泣き声が、またこの部屋中に響きわたることになるのだろう。
だって、どこかまた知れぬ世界への移動!
それは、せっかく慣れたこの部屋の色、形、匂いからの別れにこにこと、げらげらと、わーわーと、幼児達の入居と退出のたびに陽気である。
子どもらの心の奥の不安は、限りなく暗い。限りなく重い。
大学出たって
大人達は、それに反して、だから、子どもは、入居と退出のたびに、世を限りの叫び声、泣きわめきに、我を忘れる新しい里親さんが、家庭に、ようやっとのことで、いやがる子どもを連れて帰った。

ここは、きみのお家なんだよ、これからずっと。ね、キョウイチくん?
なんだか、でーんと、安心しきった顔をして、こちらをのぞき込んで、気楽げにそういってくれる見知らぬひとの、匂いも、声も、動きも、なにもかもはじめての子がそう簡単に慣れるわけにはカなしそちらの心の安定度と、こちらの心の不安定度とその隔たりの、なんというはるかさ。子どもに挑戦させてあげましょう。

育てられた今

おい、子どもって、もっと単純に、なつくものだよなぁ向うへ声を掛けたら、不審顔いっぱいの女のひとが出て来て、それこそ作り声でこっちへいらっしゃい。これ、食べていいのよ。ほしいだけね
緊張して不安いっぱいの子どもには、そこに示してくれているものが、リンゴだかおせんべいだか、それを見分けようという気持なんかさえ、かけらもない。
だからもちろん食欲もわいてはこな
遠慮しなくていいのよ、はい
といいながら、相手はずかずかと近づいてくるではないか。逃げなきゃ。戸口にへばりつく。

ほほほ、私をこわがっているの?こ横から、このおばちゃんが、きょうからキョウイチくんのお母さんだよと、男がいうオカアサン?オカアサンて、なにだ?分からないことだらけ。いやだいやだ。帰りたい。
だから、ね。それで、ね。子どもに挑戦させてあげましょう。

子どもに挑戦させてあげましょう。

この人がと自分を指してお父さん
と、男は、にこやかにいう。
オトウサン?
オトウサンてなんだ。
ぼくは知らない。
知らないひとだ!
幼児は、しかし、心の思いを、精確に相手に伝えるようなことができるはずはありません大人のことばと、子どもの心はねじれあっていて、触れあうところがない。
せめて、子どもの目の色、肩のすくませ方、ちょっとしたこちらの感情の変化に過敏に対応して、ドキドキ、と身が縮む。体のすくませ方のひどさ。不自然さもの心の奥の不安定の底深さを、読みとってやれねばなりませんそんな動きや反応から、子どまた読みとったものを、ここまで読みとっているよと、なくてはなりません。


子どもに保障しようということでもぁるのだ 子どもに保障しようということでもぁるのだ 子供がいいことをすれば