子供がいいことをすれば

大学卒業時にすべての科目がおもわしくないのです。

子供は親を見て育っていくのです。親も人間ですから、もちろん欠点だらけです。自分でも反省することはたくさんあると思います。しかし、昨日よりも明日というように、少しずつでも親自身も人間として成長してほしいものです。
人間とは在るものではなく、成るものだという言葉があるのですが、本当にそうだと思います。どんな立派な人でも、死ぬまで成るのであって、もうこれでいいということはありません。
コーチングは子供がいいことをすれば褒める

父親学·母親学といった言葉はありませんが、こうした学があるとしたら、これは一生勉強していくものだと思います。つねにどうしたらいい父親であれるのかどうしたらいい母親であれるのかと、考えていかなくてはいけないのではないでしょうか。
その前提はやはり人間として立派であるとはどういうあり方かということだと思います。
たしかに現代は難しい時代です。いくら個人だけが家庭だけが頑張ってみても、社会がどうかという問題があります。そこでは、自分さえ良ければ、自分の子供さえ良ければという考えでは、決して社会が良くならないのです。社会が良くならなければ、やはり自分も自分の子供も本当には幸せになれないと思います。ですから、狭く自分の殻の中に閉じこもるのではなく、社会にも心を開いていく必要がぁると思います。
私が思い出す母というのは、つねに私たち子供のために祈ってくれていた母の姿です。みなさんまだお若いかもしれませんが、人はいつかは死ぬものです。あなた方が亡くなって、お子さんがお母さんのことを思い出すときに、どのような姿を思い出すのでしょうか。僕のお母さんはいつも文句ばかり言っていたなというのでは、とても寂しいのではないでしょうか。

子どもが素直に言うことをきいてく

  • 体験寝たきりの老人がい
  • 子供さえ良ければという考え
  • 父親となることが望ましいかを話し合う材料として


母さんを喜ばせたい


母さんはまた書き直します。

お母さんは、時々、自分が子供からどのような姿にうつっているのだろうかと、考えてみてください。
子供にとって大事なのは、どんなに叱られたりしたにせよ、お母さんが本当に自分のことを思っていてくれるという確信なのです。その確信が子供にあれば、子供は健やかに育つはずです。
ことばと心はねじれがち·幼児とはこういうもの
という確信が崩れたときあのねえと、かける。すると、それで、ちょっとおもしろいことをはじめそうな感じで、三歳児の顔をのぞき込んで話し幼児は、うん、うんと、瞳を輝かせて相槌を打ち、こちらのことばを待ち望む。
こちらが、いかにもなにか取っておきの企みを、出し惜しむ調子で、
あのねえ!
と、もう一度いってみる。
うんうん、うん
するとそこで、きらきらしたその期待に反して、と、わくわくした顔つきで、おしまい
子どもが相槌を打つ。
子どもが自分で判断して決めなくてはならないところ

子どもは肉体的にも精神的

と、ふくらませた風船の空気を一気に抜いたようにいえば、に、ぽかん子どもは一瞬あっけにとられたようその顔に、こちらから、まるで悪企みの共犯者に向けるといったウィンクを投げれば、けとめて、たちまち子どもの体から力が抜けて、それを受なーんだ
とかといいながら、リズミカルな肩すかしの転末が、おもしろいので、だす。こちらもゲラゲラ笑い、愉しい限りの場面になるのけぞってゲラゲラ笑いなんでもないそんなやりとりを、身近にいる幼児を相手にして、楽しんでいて、幼児とは、なそんな他愛ないやりとりで、ケラケラとおもしろがるものだ、と私は思っていたのです。


体験談が勇気づけ

子どもの要求にのみ応じてそれを満たす

みん親から離れた子ども達が、集団で暮す児童福祉施設へはじめて行ったとき、ら、幼児達の中に入っていけば楽さ、と思って、表情豊かに
あのね他愛なくそんな形かうん
と頷いた。
で、もう一度、こちらがわくわく顔でと話しかけたら、あのねえ
不審そうに、相手はと、少しは期待の強まる顔をして、こちらを見つめた。
で、と繰り返したら、おしまい
うん
とこちらがいうと、しらけたそっけなさになって、
なにぃってんのと咎められたのです。
あわてたこちらは、反射的に、で、おしまいと繰り返した。
それでかえって心が遠のきあったような気まずさになった。悪企みの共犯者に向けるといった風のウィンクを、こちらが、それでも一生懸命にすると、幼児はいよいよ興味のない表情になり、すっとよそへ走っていってしまったのでした。
学習で理解を深めることができたという例もあ


勉強する仲間に囲まれ切磋琢磨し合う

私は、うろたえました。
幼児とはこういうものだ、という確信が見事に崩れてしまったのです。
という土台の色が違うのでは?

いろんな事情で、育つ家庭が無くなり、集団収容の福祉施設で大きくなっていく子ども達が、わが国では三万人ほどいます。
そのうちのひとりをわが家に引き取って、親代りになって育てる家庭を、里親
親の制度は国で決められたやり方で運営されています。四000人ほどの子どもが、育てられているのが現状です。
といって、里里親の家庭でわが家に子が生まれなくて里親になろうと決意した夫婪が、子どものことなら親戚や近所の子ど
もを見て知っていると思っていたのに、大変なとまどい!実際にひとりの子と暮すのは、時間に触れあう関係とは、随分違うのだと、こっぴどく気づかされるためです。
少しのそれは、なんの違いでしょうか。